コミュ障ナンパ師けけの北海道179ナンパブログ

自由に生きたい、人間大好きコミュ障・自閉くんの僕が型に縛られない自由な対人関係を求めて旅するブログです

学生さん必見!健常者って誰の事?僕の研究結果を見てください最終会 [障碍者]

はい、どーもけけです!!

長くなりましたがこのシリーズも今日で終わりです。
癪の都合上まとめ(おわりの部分は入れません)

最後までお付き合いしてくれた方本当にありがとうございます。

ちなみに著作権フリーではないのであしからず笑


内容は稚拙で駄文ですが、福祉に興味のある学生さんや、障がいってなんなのかなって思った人の目に入れば僕も幸いですのでよろしくお願いします。

ではいこう!


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結論

 私は「健常」とは生まれた時から常に「健常」と「障害」の間を揺れ動いているものだと考えていた。健康(又は健常)と病気(又は障害)は連続体で「今の状態」という点が様々な影響を受けながら瞬間、瞬間で動いているという考え方だ。考察の結果、私は「健常」を「健康であり、正常であること」だと考え、「健常者」を「健常状態者」と言い換え、「現在、健常な状態にある者」と定義した。つまり「健常者」とは「健常状態者」のことであり、現在という限定的な時間の中では、健常な状態にある者のことである。そして、その後の瞬間には可変であるという考え方だ。

 研究当初は見た目で判断することが難しい「障害」があるからには私たちが気付いていないだけで、目に見えない「障害」を多くの人が持っているのかも知れないと考えていた。また実際に将来的には老化などにより多くの人が「障害」を持つことになるだろう。つまり乱暴な言い方ではあるが、「健常者」は存在しないという考えをしていた。「障害者」は法律上の定義が存在するが、「健常者」に明確な定義は存在していない。では「健常者」とは誰のことなのかと思い研究を始めた。

考察をしていく中で、「正常・異常」や「精神障害」といった定義や診断、判断の難しいものも把えようとした歴史があった事を知った。そういった歴史があり、私たちは私たちの時代の常識を作り上げてきた。この作り上げられた常識の中に私たちの思考や認識は埋め込まれていくということが分かった。この常識の範囲内にいることが「正常」であり、外れることは「異常」と見なされることが分かった。

 また「健常者」とは誰のことなのかを考える上で精神医学はとても重要なキーワードであったといえる。精神医学には製薬業界との癒着関係や、狂気を悪性とした過去、中間者といういかがわしいカテゴリーを作り出した歴史もある。この歴史は健常者と障害者の間の者は一種の病者であるとした。精神病院設立のために健常者と障害者の境界線を歪め、数を割り増ししていたのだ。しかし重要なのは「健常者」と「障害者」の境界線を探す事ではなく、中間者が全く健常の状態ではなくても「障害」を持っていない限り「障害者」ではないということだ。「障害」を持っていない中間者はその誰もが全く健常の状態になる可能性を持っているのだ。しかしながら健常は永続的なものではない。皆同様に障害を持つ可能性があるからだ。

 筆者は健常者についてこのような結論を出したがそもそも健常者、障害者という概念をなくし、全て一括りの人間として捉えようとする考え方も存在する。ただ、一括りの人間として捉えることで障害を持つ人たち固有の文化がなくなってしまうことや雇用の機会が減ってしまうことが懸念されるだろう。また差別の問題はどうなるのだろうか。今後「障害」への理解が進み、障害を持っている人を劣っている人と見るのではなく、優劣のない同じ人間という考え方が広まって欲しいと思う。







終わりに

最初は障害の分野に興味があった訳ではなかった。障害に興味を持ったのは大人の発達障害について知った時だった。その発達障害を持つ人のパートナーが心労から陥るカサンドラ愛情剥奪症候群というものを知り、そのことから精神障害の分野に興味を持った。様々な「障害」と診断名のつくものを調べているうちに気分障害人格障害、不安障害と呼ばれる精神障害についての知識を深めていった。

あるとき「これほどの障害が世界にあるが、障害を持っていない人は存在するのだろうか」という疑問をもつようになった。特に精神障害は診断名の種類も多岐にわたっていた。またストレスの多い現代社会でうつ病は多くの人に認知されている。多くの人に認知されているので、うつ病は外見の様子や言動からうつ病であるという判断が私たちでも容易だと思う。しかし精神障害は目に見えるものではなく、精神障害をよく知っている人も多くはないだろう。このような目に見えない障害を私たちが知らないだけで多くの人が持っている可能性があるのではないかと私は思っていた。大人の発達障害から始まった障害分野への興味は精神障害へ移り変わり、障害を持っていない人(健常者)は存在するのかという疑問になり、健常者とは誰の事なのかと考えるに至った。

健常者は存在するのかという私の疑問であるが、考察の結論として健常者は存在した。そもそも、健常者と障害者の間には明確な線引きは存在していなかった。誰もが異常になる可能性を持っているし、いつ事故に遭い手足を失うかもわからない。そして精神疾患という目に見えない症状が存在している以上、ここまでが障害者でここから健常者とは完全に言い切ることは出来ない。全く健常や障害の状態でない限り、人は健常と障害の間を常に移動しているのだ。

ただ中間の者であっても、「障害」に近い状態にある者、診断を受ければ診断名がつくと思われる人や、明らかに常識から外れている人は存在する。これらの人たちを「異常」だからと遠ざけるのは間違っている。常識を知らないだけかもしれないし、限りなく中間者に近い障害者なのだとしたらその人の性質上仕方のない事だろう。この研究から常識をしらない者やルールから外れている者を「おかしい」「異常だ」という一言で遠ざけるのではなく、こちらが理解していく姿勢が大切だと感じた。腫れ物を扱うかのように接するのではなく「おかしい」と気付いた人が指摘し、支え合っていく。これからはこのような人がいると理解して「知っていく」姿勢のある世の中になる必要があるのではないだろうか。





以下の文献を参考資料として用いさせていただきました。

2004(平成16)年改正
アレン・フランセス著「正常を救え」より引用。彼はデューク大学医学部名誉教授でDSM-IVの作成委員長を務めた。
患者を安心させたり新薬の効果を調べたりするのに使う、本当の成分を含まないが外見では見分けられない薬剤のこと。また、副作用がほとんどない代わりに効果の極めて低いものをいう。
アレン・フランセス著「正常を救え」より引用
大阪大学名誉教授で哲学者でもある。
芹沢一也『狂気と犯罪』
社会固有の構造が存在し、そのあとに個人が組み込まれるという考えのこと。
科学、知識、知は連続的に徐々に進歩し発展するように考えられていて、科学は誰もが認めざるを得ないこの世の真相である真理だと考えられている。
「認識」を表す古代ギリシャ語。ミシェル・フーコー著書『言葉と物』で使われた言葉・概念である。「知の枠組み」と訳されている。
ミシェル・フーコー著『言葉と物―人文科学の考古学』の中で提唱された概念・考え方。
モダン(近代)の次という意味で、近代主義がその成立の条件を失った時代のこと。
現在の東京都立病院の前進で、明治22年に東京巣鴨病院、その後、大正8年に東京府松沢病院と改称されている。
松本高三郎『袖珍精神病学』
刑法学者で戦前最も影響力をもっていたといわれている。
杉江董(すぎえ ただす)『反社会的危険性』
呉秀三『監獄の精神病』より引用
杉江董『病的犯罪の研究』より引用
調査項目は「一、乳児、幼児及び学齢児童 二、結核 三、性病 四、癩 五、精神病 六、衣食住 七、農村衛生状態 八、統計」の八つで、これらの事を調査するのが目的だった。
国公私立精神病院、脳病院、国公私立病院および脳病室、私宅監置室、感化院、癩療養所、行旅病人収容所、寺院、瀑布所在地、温泉場
既に社会が発見していた精神障害者のこと。
現在これらは人格障害と呼ばれている。
樫田五郎『精神病問題』
自閉症スペクトラムとも呼ばれている(自閉症アスペルガー症候群・特定不能の広汎性発達障害など、自閉症の特性を示す一群の発達障害を、軽度から重度まで境界のあいまいな一つの障害として捉える考え方のこと)




長い間ありがとうございました。
昔に書いた文章なので、だいぶ今とは考え方とか世間の動きとかも変わってきましたね。あと、今後も僕がこんな真面目な記事を書くのはないかなと思うので貴重な数日間だったと思います笑

じゃあ、また次回からナンパとか恋愛に戻りますかー笑


こっちの方でも昔ちらっと話したりしてます
sakanouenannpa.hatenablog.com

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